Soga Family 自己紹介

「子供達に心地よい地球を残したい」

初めまして、曽我順子です。

私は和歌山県の最南端エリア、古座川町という町に生まれ育ちました。

古座川町は人口約2,300人。信号もコンビニもありません。

私の家は、この町の中でも最も奥地にある「七川」という限界集落にあります。

私は6歳から日本舞踊を習い始め、以来16歳からは

師匠と共に都会で生活をしました。海外での公演もさせていただき、日本舞踊の関連事業として(株)UZUMEを立ち上げました。

出産を機に里帰り。今では珍しい「自宅出産」。これまで仕事人間だった私の人生最大の転機でした。

我が子をただただ愛しむ十月十日。オキシトシン溢れるお産。宇宙規模で教えられる育児という名の育親期間。
それはこの上ない幸せを感じるのと同時に、我が子に安心安全な食と環境を残さないといけないという使命感を感じたときでした。

現在、我が家は四世代家族。
時代が変わっても守り続けてきてくれた祖母の暮らしが「最先端」だと気づきました。
とてもシンプルで理にかなった暮らし。「わざわざ」何かをこだわらなくても、全て完璧。力を抜いて、子供に愛しむ時間を一番大切にできる暮らし。

それは女性の強さと優しさを引き出す暮らしでもあるのです。女性が変われば家族が変わる。家族が変われば、社会が、世界が変わる。そう信じて、ここ古座川から私たちは発信します。
「あるべき姿へ、あるがままの世界へ。」

「もののけ姫の世界に来た」

川崎市出身の夫・曽我裕太です。

私は神奈川県川崎市に生まれ育ち、ワインソムリエとしてお仕事をさせて頂いておりました。
結婚をする際に初めて七川に訪れました。
深い緑の山々。澄んだ空気。サイダーのような清流。

季節によって様々な野花が咲き、虫や動物の活動で自然が循環する。

お米、野菜、お茶、お味噌。自然の恩恵を頂く暮らし。

お年寄りは、自分のペースで、畑を耕し食の恩恵を受ける。

山から集めた薪でお風呂を炊き、疲れをとる。手に届きそうな満天の星、

クリアな月を眺めて眠りにつく。

朝はまた沢山の鳥のさえずりで目が覚めます。

自然にすっぽりと囲まれ、「原点」に還ることができる。
「何もない」んじゃないんです。ここに「全て」があるんです。
私はそれを一瞬で感じました。
「八百万の神」という表現がありますが、それはまさしく、1日たりとも同じ景色のない、この場所にあります。

出産を機に妻の里に引っ越しをし、農業を始めました。
家でお産をし、生まれたその時から家で生活をする。そうすると、さっきまでの妻がもう「母」になっているんです。それはとても心地の良い感覚だったのを覚えています。

私は妻の進化していく美しさを見ることがとても楽しくてなりません。

世界中のお母さんが「美しい」のは、世界の幸福です。私は旦那さんに「ちょっと共感」することぐらいしかできませんが、未来の子供達のために「あるがままの世界へ」共に進化していきたいと願います。

「25年ぶりの子供」

曽我孔希 2歳

お母さんとお父さんが三重県にいた時に、
お腹にやってきたよ。
僕の生まれたい場所をお腹の中から伝えてた。
そしたら、あったかぁくて、優しい場所で生まれる
ことができたよ。
次は妹が生まれるらしい。
毎晩なでなでして声をかけてるよ。
生まれる時僕起きてるかな?
生まれたらいっぱいぎゅーしてあげよ。

自宅出産までのストーリー

私たちは和歌山県最南端の古座川町に
暮らしています。
母である私の次に息子(2歳)が生まれるほどの
限界集落です。

助産院や産婦人科までは、車で1時間以上かかります。

▪︎第一子のお産で感じたこと

第一子のときは、何も分からないまま
一番近い病院で検診を受けていました。
張り止めの薬を処方されたことをきっかけに、
次第に疑問が生まれました。
「本当に必要な処置なのだろうか」
「赤ちゃんの産後のケアは大丈夫だろうか」
「内診がつらい」
「入院食が合わない」

和歌山中の助産院を回りましたが、
距離の問題がありました。
陣痛が来てから1時間半の移動。
初産には大きな不安でした。

そんなときに出会ったのが、
助産師のあこさんでした。


▪︎「自宅出産しかない」と思えた理由

初めてあこさんと話したとき、
それまで抱えていた不安がすっと消えました。

病院での処置への違和感。
産後の赤ちゃんへの不安。
助産院までの距離。

すべてを考えたとき、私たちにとって
一番納得できた選択が「自宅出産」でした。

第一子は、心地よい空間の中で
無事に生まれてきてくれました。

あの時の、あの感覚。


▪︎そして第二子へ

第二子のお産を控えた今、私たちはその感覚を大切にしながら、今回のお産を考えています。